代表理事の里親体験
A君が里子として我が家に来たのは、彼が小学校1年生の7才児の時。今の彼は20才の大学2年生。13年の月日が流れました。(*掲載内容 A君に承認済み)
里親とは、様々な要因で、実の親の下で暮らせなくなった子どもたちは、児童福祉法により、児童養護施設や民間の一般家庭に預けられて育てられる。後者の育てる方を「里親」、育てられる方を「里子」といいます。
里親の仕事としての育児―心身の健康
子育ての基本は「心身ともに健康に」だと思います。
私にはすでに40歳を超えた二人の実子がおります。実子の二人も里子のA君も前述したように育てました。そこは実子も里子君も同じです。
異なる点ももちろんあります。
「実子は赤ちゃんの頃から我が家にいたことで、A君は途中から我が家に来た」ことです。赤ちゃんの時からずっと一緒にいたということは、「お互いの存在が、まるで空気のごとく、自然にある」ということです。
A君は途中からですから「空気のように」とはいけません。13年という歳月が大分「空気」を作り出しましてくれましたが、私の方では「もはや実子」と思っていても、言ってしまえば「弱い立場にある」A君がどのように思っているのかは、分からないと思うこともあります。ただ言えることは「私がA君のことが大好きである」ということです。小さい時からずっと、今でも、おそらくはこれからも・・・
ちょっと話がそれかかりましたが、健康面ではA君の方が大変でした。我が家にはA君だけでなく、児童相談所関連でほかのお子さんも来ていましたが、 共通しているのは「育児放棄(ネグレクト)」されていた(あるいはそれに近い状況)ことがあって、それが子供の体の健康面に影響されていることがあります。
例えば「掃除されない家庭」においては「ハウスダスト」による「アレルギー」などは、「呼吸面」での健康を犯します。こういった点は彼らの共通点です。
心の問題もあります。「今日からここがお前の家」「ここがお前の学校」と言われて、動揺しない子はいないのではないでしょうか。また、それ以上に、そもそもが、他人の家に「里子」として出される」ということは、生まれ育った家に「よほどのこと」があることを意味していると思われます。そこでの心の不安定さを考えると「心の健康」とはとても言える状態ではありません。
A君は今では「体と心の健康」は取り戻せました。今(2023年11月現在)彼は幼いころからの夢だった「某英語圏の国に留学中」ですが、そういうこともできる心と体を手に入れました。よく育ってくれたと思っております。「留学」は心と体がタフでないとできないことと思います。
将来一人で暮らせるように(自立に向けて)
子育てのもう一つのキーポイントは「将来自分の力で、一人で暮らせるように」だと思います。
育児は「今行われている」ことですが、それが今のみに限らず、未来にもつながっております。「大きくなって○○するのに役に立つ」というやつです。
未来といってもいろいろな未来があるかと思いますが、究極なところでは「自立」に行き着くのではないでしょうか。私は里親を引き受けるときに、18才までの長期ケースだったので、まず、「自立」ということを一番に考えました。自分たちはそれなりの年齢ですので、いつまでもA君とかかわれることはなく、私たちがいなくなっても、A君が「自分の力」で生きていけることを里親としては「最大目標」としました。
「生きていく力」とは、具体的に言えば「他人と共に生きていく」ことを考えれば「挨拶がきちんとできる」「人に対して易しくできる」などもとても大切な要素となりますが、それでも最終目標は「仕事に就く」という経済面を考えておりました。
「手に職をつける」「大学まで進学させる」大きく言ってこの二つを考えました。私たちがいなくなれば彼一人で生きていかなければないことが前提になっておりますので。「本人の希望及び天性」を観ていった結果、後者を選びました。当時は児童福祉法で「18歳までの支援」と期間が限られておりましたので、それが私たち(私とA君)に与えられた時間と思っておりました。
4年制の大学の進学率は「一般」では、男子54.3%,女子51.6%(文科省、2021年)社会的擁護者(児童養護施設、里親)では14%、うち短大でない4年制大学進学3%(厚生労働省、2020)となっております。
数字についてはいろいろな解釈ができると思いますが、とにかく私たちは、厳しい条件を潜り抜けてきたことだけは現時点において確かだと思います(あくまでも現時点です。大学中退率は全国平均で2.7%,社会的養護者25%という数字もあります)。また、4年制大学を卒業したからと言って、「人生の無事」が保証されることでもありません。ただ、就く職業の選択肢が広がったということだけは確かだと思っております。
A君との13年間を生かして
A君との13年間は「里親、里子間の双方にとって」とても貴重な時間だったと思います。「何の問題がなく」というわけにはいかず、多少大げさに言えば、「絶体絶命のピンチ」もありましたが、何とか乗り越えてきました。
そんな中で一番大きかったことは、当初の狙い通りにA君の「一人で生きていく道が見えかけてきている」ということでしょう。里親側として何があっても「狙いは外さない。あきらめない」があったからこそだと感じております。
「里親としての育児」の最後に書きましたが、「ただ、就く職業の選択肢が広がったということだけは確かだと思っております」の部分は、実際にとても大きなことだと思います。
里親のような仕事をしていると、どこからか、「不登校」「ひきこもり」などの親御さんとの出会いが多くなりました。その多くの方々から「将来が不安」という声が、聞こえてきました(音としての声にならずとも、伝わってくるものがありました)。
もっと具体的に言えば「勇気を出してアルバイト」に挑戦してみたが、お店や建築などの「現場仕事」で、周りのことがよく見えず、ついていけなくて結局長続きできなかったということが、私の印象に残りました。
そもそも、人間関係を作るのが得意な方でない人間が「現場仕事という周りを感じてやる仕事」で働くことは、本当に難しいことだと思います。
また、「自分の得意なこと(好きなこと)」で、仕事に就くことは「現場仕事より困難」であることが現実です。教員をしていたので、教え子が様々な業界にいるので、「希望」が叶うように、紹介できるだけ紹介しましたが、「それで飯が食える」ことは、普通に考えても難しいことだと思います。
自分を生かせる職の選択幅を広げる高卒認定試験
職の選択肢を広げることが、最も現実的なことだと思うようになりました。つまり、「高卒認定試験」をパスして、少なくても現在より自分を生かせる職の選択幅を広げる」ということです。
「今更、あの大嫌いな勉強なんて」と思う方が大半ではと想像できます。ここで、すでに書かせていただいたように、「高卒認定試験」は決して楽なものではありません。自分でやってみてそう思いました。
しかし、「急がば回れ」という言葉もあります。目標が決まれば、人間は案外頑張れるものだと思います。A君がうちに来たのは、「私がA君を選んだものでなく、児童相談所が決めたこと」でした(相性がいいということで、里親側からお子さんを選ぶケースもあると聞きますが、「あの子はいいけどこの子は嫌」としたくないので、「男の子(一緒にふろに入れる)」と「低学年(高学年より形が決まっていない)」だけの条件でした。実際、「引き受ける」と決めてから、初めてA君を紹介されました。その時A君はめそめそ泣いていて「こいつ、泣き虫だなぁ」と思ったことを、今では笑い話として、お互いの初印象を言い合っております。
A君とうまくいったからだれとでも大丈夫だなんて、思いあがってもいません。ただ、教員の仕事をしてきたこと、その後、それなりの数のお子さんの学習を手助けしてきたことを考えると、それぞれのやり方で「自分にとって合うやり方」が見つかると、かなり何とかなるものと思っております。同時に、自分一人でなく、だれか(私レベルでも)と一緒なら、なおさら続けることができることも経験させていただきました(A君も私とのタッグで何とかというクチだと思います)。
また、教える方の立場として「教えられる方が理解できない」ということは、かなりの部分「教え方」に原因があることは、公立学校の「教師生活」であったころから、嫌というほど、感じておりました(自省も込めて)。
以上のことで、私は残る人生の中で、私ができる「最も現実的なこと」として「高卒認定試験のお手伝い」ということを選びました。
法人概要
法人名 | 一般社団法人 共歩みの会 |
設立 | 2023年3月2日 |
事業 | 高卒認定試験合格を主な内容とする教育支援・福祉事業 |
事務所 所在地 | 神奈川県川崎市多摩区 |